酔古堂剣掃 / 集素・花を養ふの情を以て自ら養ふ
以養花之情自養,則風情日閒;以調鶴之性自調,則真性自美。
書き下し
花を養ふの情を以て自ら養へば、則ち風情日に閒なり。 鶴を調ふるの性を以て自ら調ふれば、則ち真性自ら美し。
現代語訳
花を育てるような心で自分を養えば、風雅な心は日に日にのびやかになります。鶴を慣らすような心持ちで自分を整えれば、本来の性質はおのずと美しくなります。
解説
花や鶴を世話する心を、自分自身に向けよと説いた対句です。養花は花を育てること、風情は風雅な心持ちです。花を育てるときは、水や日光に気を配り、焦らず咲くのを待ちます。その優しさと根気を自分にも向ければ、心はゆったりと育っていきます。調鶴は鶴を飼い慣らすことで、鶴は昔から文人や隠者に愛された鳥です。無理に押さえつけず、その性質に沿って穏やかに慣らしていくのがこつです。真性は本来の性質のことです。自分を厳しく律することも大切ですが、花や鶴を扱うような丁寧さと寛容さで自分に接することも、心を育てるうえで欠かせないのです。
この章句が説くこと
修身養生花鶴自愛
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