酔古堂剣掃 / 集素・春を送りて血淚腮に滿つ
送春而血淚滿腮,悲秋而紅顏慘目。
新字:送春而血涙満腮,悲秋而紅顔惨目。
書き下し
春を送りて血淚腮に滿ち、秋を悲しみて紅顏目を慘ましむ。
現代語訳
春を送っては血の涙が頬いっぱいに流れ、秋を悲しんでは紅の顔が見る目にも痛ましくやつれます。
解説
季節の移ろいに激しく心を動かされる人の姿を描いた対句です。送春は春の終わりを見送ること、血涙は血の混じるほどの激しい涙、腮は頬です。悲秋は秋の寂しさを悲しむことで、戦国時代の宋玉が『楚辞』九弁で、悲しいかな秋の気たるやと歌ったのが始まりとされます。紅顔は若く血色のよい顔、惨目は見るに痛ましいことです。素朴な暮らしを集めた集素の中では少し色合いの違う句ですが、惜春悲秋の情が行き過ぎると心身をむしばむことを示し、感情に溺れない素朴さを求める前後の句を引き立てているとも読めます。季節や出来事に心を動かすのは豊かさですが、それに呑み込まれない程よさも必要です。
この章句が説くこと
惜春悲秋感情中庸季節
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