酔古堂剣掃 / 集素・雜想有れば一擊して遂に忘る
山房置一鐘,每於清晨良宵之下,用以節歌,令人朝夕清心,動念和平。李禿謂:「有雜想,一擊遂忘;有愁思,一撞遂掃。」知音哉!
新字:山房置一鐘,毎於清晨良宵之下,用以節歌,令人朝夕清心,動念和平。李禿謂:「有雑想,一撃遂忘;有愁思,一撞遂掃。」知音哉!
書き下し
山房に一鐘を置き、每に清晨良宵の下に於て、用ひて以て歌を節し、人をして朝夕心を清め、念を動かすも和平ならしむ。 李禿謂ふ、「雜想有れば、一擊して遂に忘れ、愁思有れば、一撞して遂に掃ふ」と。 知音なるかな。
現代語訳
山の住まいに鐘を一つ置き、すがすがしい朝やよい夜にはいつも、それを使って歌の拍子を取ります。そうすると、朝夕に心が清められ、思いが動いても穏やかでいられます。李禿(明の李贄)は「雑念があれば、一つ撞けばたちまち忘れ、憂いがあれば、一つ撞けばたちまち掃い去られる」と言いました。まことに鐘の心を知る人です。
解説
鐘の音が心を清める力を述べた一則です。山房は山中の住まい、節歌は歌の拍子を取ることです。動念和平は、心が動いても穏やかさを失わないことです。李禿は明末の思想家李贄のことで、剃髪して寺に住んだことから禿翁と号しました。彼の言葉として、雑念も愁いも鐘をひと撞きすれば消えると引いています。知音は、琴の名手伯牙の音を鍾子期だけが理解したという故事から、真の理解者を言います。ここでは李贄こそ鐘の音の真価を知る人だとたたえています。澄んだ一音には、散らかった心を一瞬で今に引き戻す力があります。仕事の区切りの合図など、音を使って心を切り替える工夫にも通じます。
この章句が説くこと
静寂鐘修身雑念李贄
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