酔古堂剣掃 / 集靈・夢中の夢を喚び醒ます
聽靜夜之鐘聲,喚醒夢中之夢;觀澄潭之月影,窺見身外之身。
新字:聴静夜之鐘声,喚醒夢中之夢;観澄潭之月影,窺見身外之身。
書き下し
靜夜の鐘聲を聽きて、夢中の夢を喚び醒まし、 澄潭の月影を觀て、身外の身を窺ひ見る。
現代語訳
静かな夜に鐘の音を聞いて、夢の中でさらに見ている夢から呼び覚まされます。澄んだ淵に映る月の影を眺めて、この身の外にあるもう一つの身をうかがい見ます。
解説
静けさの中でこそ本当の自分に気づくと説いた対句です。夢中の夢とは、人生そのものが夢であるうえに、その中でさらに名利や欲望という夢を見ている迷いのことです。深夜の鐘の音は、その二重の夢から目を覚まさせるものとして描かれます。身外の身は、肉体を離れた本来の自己のことで、禅でいう本来の面目に近い考え方です。澄んだ水面に映る月を見て、それに気づくというのです。菜根譚にもほぼ同じ句があります。慌ただしい日々の中でも、静かな音や光に心を向ける時間を持つことで、何に追われているのかを見つめ直せるでしょう。
この章句が説くこと
静寂禅修身自省菜根譚
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