酔古堂剣掃 / 集素・太空は浮雲を礙げず
流水相忘游魚,游魚相忘流水,即此便是天機;太空不礙浮雲,浮雲不礙太空,何處別有佛性?
新字:流水相忘游魚,游魚相忘流水,即此便是天機;太空不礙浮雲,浮雲不礙太空,何処別有仏性?
書き下し
流水は游魚を相忘れ、游魚は流水を相忘る、即ち此れ便ち是れ天機なり。 太空は浮雲を礙げず、浮雲は太空を礙げず、何處にか別に佛性有らんや。
現代語訳
流れる水は泳ぐ魚のことを忘れ、泳ぐ魚は流れる水のことを忘れています。まさにこれこそが天の働きです。大空は浮かぶ雲を妨げず、浮かぶ雲は大空を妨げません。これ以外のどこに仏性があるというのでしょうか。
解説
自然の姿の中に、天の働きと仏性がそのまま現れていると説いた対句です。相忘るは『荘子』大宗師篇の、魚は江湖に相忘るという言葉を踏まえ、互いに意識せずに自然に共にある状態を言います。天機は天から授かった自然の働きのことです。太空は大空、礙は妨げることです。空は雲を拒まず、雲は空を妨げない。互いに相手を邪魔せず、それぞれがそのままで調和している姿こそ、仏性すなわち悟りの本性の現れだと言います。特別な修行や教えの中に仏性を探すのではなく、目の前の自然の中にすでにあるというのです。人間関係でも、互いを意識しすぎず自然に共にいられる関係こそ、最も心地よいものかもしれません。
この章句が説くこと
自然禅荘子仏性調和
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