酔古堂剣掃 / 集素・便ち是れ人間無事の人
逢人不說人間事,便是人間無事人。
新字:逢人不説人間事,便是人間無事人。
書き下し
人に逢ひて人間の事を說かざれば、便ち是れ人間無事の人なり。
現代語訳
人に会っても世間の事を話さなければ、その人こそ世の中で何の煩いもない人です。
解説
唐の杜荀鶴の詩、贈質上人の結びの二句で、世事に口を出さない人の気楽さを言っています。人間は、ここでは人の住む世の中、世間という意味です。人間の事とは、世間の噂話や損得、他人の是非などのことです。無事の人は、煩わしい事に関わらない、心にかかることのない人です。人の噂や世の中の出来事を話題にすれば、つい意見を持ち、好き嫌いが生まれ、やがて自分もその渦に巻き込まれます。話さなければ、心に余計なものを抱え込まずに済むのです。噂話や批評があふれる今日だからこそ、口にしない選択をすることで得られる心の平穏があることを教えてくれます。
この章句が説くこと
無事言葉処世閑適口数
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