酔古堂剣掃 / 集素・大地盡く蒲團と作る
修淨土者,自淨其心,方寸居然蓮界;學禪坐者,達禪之理,大地盡作蒲團。
新字:修浄土者,自浄其心,方寸居然蓮界;学禅坐者,達禅之理,大地尽作蒲団。
書き下し
淨土を修むる者は、自ら其の心を淨むれば、方寸居然として蓮界なり。 禪坐を學ぶ者は、禪の理に達すれば、大地盡く蒲團と作る。
現代語訳
浄土を願って修行する者は、自分の心を清めれば、胸の内がそのまま蓮の花咲く浄土になります。坐禅を学ぶ者は、禅の道理に通じれば、大地がすべて坐禅の座布団となります。
解説
浄土と禅という二つの修行について、形より心が大切だと説いた対句です。浄土は阿弥陀仏の極楽浄土、方寸は一寸四方で心のことです。蓮界は蓮の花の咲く浄土の世界です。『維摩経』に、その心が浄ければ仏土も浄いという考えがあり、それを踏まえています。後半の蒲団は坐禅の座布団です。禅の理に達すれば、特定の場所で座る必要はなく、どこにいても坐禅の場になると言います。修行や学びを、特別な場所や道具に頼るものと考えがちですが、本当に大切なのは心の在り方です。職場でも家庭でも、心を整えればそこが修養の場になるという教えです。
この章句が説くこと
浄土禅仏教修身心境
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