酔古堂剣掃 / 集素・百篇の野趣、少陵の詩
會意不求多,數幅晴光摩詰畫;知心能有幾,百篇野趣少陵詩。
新字:会意不求多,数幅晴光摩詰画;知心能有幾,百篇野趣少陵詩。
書き下し
會意は多きを求めず、數幅の晴光、摩詰の畫。 知心能く幾ばくか有る、百篇の野趣、少陵の詩。
現代語訳
心にかなうものは多くを求めません。晴れた光を描いた数幅の摩詰(唐の王維)の絵があれば十分です。心を知る友がどれほどいるでしょうか。野の趣にあふれた百篇の少陵(唐の杜甫)の詩が、その友になってくれます。
解説
少数の名品と、古人の作品を心の友とする喜びを述べた対句です。会意は心にかなうこと、摩詰は唐の詩人であり画家でもあった王維の字です。王維は後に南宗画の祖とされ、自然の静けさを描いた山水画で知られます。知心は心を知り合う友のことです。少陵は唐の杜甫の号で、長安の少陵の近くに住んだことからそう呼ばれます。野趣は田野の素朴な趣です。心を許せる友は世にそう多くはありませんが、古人の詩や絵は、時代を越えて語りかけてくれる友になります。多くを持たずとも、心から愛する数点の作品があれば、人生は豊かになることを教えてくれます。
この章句が説くこと
読書風雅王維杜甫知己
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