酔古堂剣掃 / 集靈・心に憑りて楊子の宅に游ぶ
茅屋竹窗,貧中之趣,何須腳到李侯門;草帖畫譜,閒里所需,直憑心游楊子宅。
新字:茅屋竹窗,貧中之趣,何須脚到李侯門;草帖画譜,閒里所需,直憑心游楊子宅。
書き下し
茅屋竹窗は、貧中の趣なり、何ぞ須ひん腳の李侯の門に到るを。草帖畫譜は、閒裡の需むる所、直だ心に憑りて楊子の宅に游ぶ。
現代語訳
茅ぶきの家と竹の窓は、貧しさの中の趣です。どうして権勢ある李侯の門まで足を運ぶ必要があるでしょう。草書の手本や画の手本帳は、暇な暮らしに必要なもので、ただ心のままに楊雄(漢の学者)の家に遊ぶのです。
解説
権門に出入りするより、質素な住まいで書画を楽しむほうがよいという一則です。李侯の門は権勢ある貴人の屋敷のことで、そこに出入りして出世の手づるを求めることを指しています。草帖は草書の手本、畫譜は絵の手本帳です。楊子の宅は、漢の揚雄の家のことで、揚雄は権力から距離を置いて学問に打ち込み、その家はひっそりと寂しかったことで知られます。足で権門を訪ねるのではなく、心で揚雄の家を訪ねる、つまり学問と芸術の世界に遊ぶことこそ、真の豊かさだというのです。書物や芸術は、いつでも心を別の世界に連れていってくれる、最も身近な旅の手段なのでしょう。
この章句が説くこと
清貧隠逸書画学問閑適
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