酔古堂剣掃 / 集素・一室に經行するは九衢に奔走するに賢る
一室經行,賢於九衢奔走;六時禮佛,清於五夜朝天。
新字:一室経行,賢於九衢奔走;六時礼仏,清於五夜朝天。
書き下し
一室に經行するは、九衢に奔走するに賢り、 六時に佛を禮するは、五夜に天に朝するより清し。
現代語訳
一つの部屋の中をゆっくり歩いて修行するほうが、都の大通りを駆け回るよりもまさっています。昼夜六度の時刻に仏を拝むほうが、夜明け前に参内して天子に拝謁するよりも清らかです。
解説
世俗の栄達と、静かな修行の暮らしとを比べた対句です。経行は仏教の修行で、坐禅の合間などに一定の場所をゆっくり歩くことです。九衢は四方八方に通じる都の大通りで、名利を求めて奔走する世界を象徴します。六時は仏教で昼夜を六つに分けた勤行の時刻で、六時礼讃という言葉もあります。五夜は夜明け前の時刻で、朝天は朝廷に参内して天子に拝謁することです。官僚は夜明け前から宮門に並んだので、出世の象徴とされました。外で走り回ることが偉いのではなく、自分の部屋で静かに自分を整える時間こそが尊いという価値観の転換が示されています。
この章句が説くこと
仏教修行静寂名利禅
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