酔古堂剣掃 / 集醒・丘墓に登りて徘徊す
入道場而隨喜,則修行之念勃興;登丘墓而徘徊,則名利之心頓盡。
新字:入道場而随喜,則修行之念勃興;登丘墓而徘徊,則名利之心頓尽。
書き下し
道場に入りて隨喜すれば、則ち修行の念勃興す。 丘墓に登りて徘徊すれば、則ち名利の心頓に盡く。
現代語訳
道場に入って人の修行を見てともに喜べば、自分も修行しようという思いが勢いよく湧き起こります。墓のある丘に登ってさまよい歩けば、名誉や利益を求める心はたちまち尽きてしまいます。
解説
場所が心に与える力を述べた対句です。道場は仏道を修める場所、随喜は仏教語で、他人の善い行いを見て自分のことのように喜ぶことを言います。修行する人々の姿に触れると、自分も励もうという気持ちが起こります。反対に、墓の並ぶ丘を歩けば、どれほど名を上げ富を築いた人もここに眠っていることが分かり、名利を追う心は一気に冷めます。病や死を思えという前の則の教えを、実際に足を運ぶ場所に置きかえたものとも読めます。心を切り替えたいとき、意志の力だけに頼らず、身を置く場所を変えてみるのは今日でも有効な方法です。
この章句が説くこと
修行名利無常環境随喜
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説苑・奉使晏子將に荊に使いせんとす。荊王之を聞き、左右に謂いて曰く、「晏子は賢人なり。今方に來らんとす。之を辱めんと欲す、何を以てせん。」左右對えて曰く、「其の來るに爲り、臣請う一人を縛りて王を過りて行かしめん。」是に於て荊王晏子と立ちて語る。一人を縛る有り、王を過りて行く。王曰く、「何を爲す者ぞ。」對えて曰く、「齊人なり。」王曰く、「何の坐ぞ。」曰く、「盜に坐す。」王曰く、「齊人固より盜するか。」晏子反顧して之に曰く、「江南に橘有り、齊王人をして之を取りて江北に樹えしむるに、生じて橘と爲らず、乃ち枳と爲る。然る所以は何ぞ。其の土地之をして然らしむるなり。今齊人齊に居りて盜せず、荊に來りて盜す、土地之をして然らしむる無きを得んか。」荊王曰く、「吾子を傷つけんと欲して反りて自ら中れり。」
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論語・衛霊公篇子貢、仁を為すを問う。子曰く、「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳蔡の閒に戹するは、上下の交わり無ければなり。」
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
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