酔古堂剣掃 / 集素・片時清暢なれば即ち片時を享く
片時清暢,即享片時;半景幽雅,即娛半景;不必更起姑待之心。
新字:片時清暢,即享片時;半景幽雅,即娯半景;不必更起姑待之心。
書き下し
片時清暢なれば、即ち片時を享け、半景幽雅なれば、即ち半景を娛しむ。 必ずしも更に姑く待つの心を起こさず。
現代語訳
ほんのわずかな時でも清々しく伸びやかなら、そのわずかな時を味わいます。景色の半分でも奥ゆかしく美しければ、その半分の景色を楽しみます。もっと良い時が来るまでしばらく待とう、などという心をさらに起こす必要はありません。
解説
楽しみを先送りせず、今ここにある小さな良さを味わえと説いた一則です。片時はほんのわずかな時間、清暢は清々しく伸びやかなことです。半景は景色の一部分、幽雅は奥ゆかしく上品なことです。姑待は、ひとまず待とう、もっと条件が整ってからにしようという心です。完璧な休日、完璧な景色、完璧なタイミングを待っていると、いつまでも楽しむ機会は訪れません。仕事の合間の五分間、窓から見える空の一角、通勤途中の街路樹にも、味わうべき良さはあります。いつかではなく今を楽しむ心構えが、日々の満足感を大きく変えてくれるでしょう。
この章句が説くこと
閑適知足今風雅心境
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