酔古堂剣掃 / 集素・書室中の修行の法
書室中修行法:心閒手懶,則觀法帖,以其可逐字放置也;手閒心懶,則治迂事,以其可作可止也;心手俱閒,則寫字作詩文,以其可以兼濟也;心手俱懶,則坐睡,以其不強役於神也;心不甚定,宜看詩及雜短故事,以其易於見意不滯於久也;心閒無事,宜看長篇文字,或經注,或史傳,或古人文集,此又甚宜於風雨之際及寒夜也。又曰:「手冗心閒則思,心冗手閒則臥,心手俱閒,則著作書字,心手俱冗,則思早畢其事,以寧吾神。」
新字:書室中修行法:心閒手懶,則観法帖,以其可逐字放置也;手閒心懶,則治迂事,以其可作可止也;心手倶閒,則写字作詩文,以其可以兼済也;心手倶懶,則坐睡,以其不強役於神也;心不甚定,宜看詩及雑短故事,以其易於見意不滞於久也;心閒無事,宜看長篇文字,或経注,或史伝,或古人文集,此又甚宜於風雨之際及寒夜也。又曰:「手冗心閒則思,心冗手閒則臥,心手倶閒,則著作書字,心手倶冗,則思早畢其事,以寧吾神。」
書き下し
書室中の修行の法。 心閒にして手懶ければ、則ち法帖を觀る、其の字を逐ひて放置すべきを以てなり。 手閒にして心懶ければ、則ち迂事を治む、其の作すべく止むべきを以てなり。 心手俱に閒なれば、則ち字を寫し詩文を作る、其の以て兼濟すべきを以てなり。 心手俱に懶ければ、則ち坐睡す、其の強ひて神を役せざるを以てなり。 心甚だしくは定まらざれば、宜しく詩及び雜短の故事を看るべし、其の意を見るに易く久しきに滯らざるを以てなり。 心閒にして事無ければ、宜しく長篇の文字、或いは經注、或いは史傳、或いは古人の文集を看るべし、此れ又甚だ風雨の際及び寒夜に宜し。 又曰く、「手冗にして心閒なれば則ち思ひ、心冗にして手閒なれば則ち臥す。心手俱に閒なれば、則ち書字を著作し、心手俱に冗なれば、則ち早く其の事を畢へ、以て吾が神を寧んぜんことを思ふ」と。
現代語訳
書斎での修養の方法です。心は暇だが手が面倒がるときは、法帖を眺めます。一字ずつ見ていつでもやめられるからです。手は暇だが心が面倒がるときは、急がない雑事を片づけます。やりたいときにやり、やめたいときにやめられるからです。心も手も暇なときは、字を書いたり詩文を作ったりします。両方を一緒に生かせるからです。心も手も面倒がるときは、座ったまま眠ります。無理に精神を使わないためです。心があまり落ち着かないときは、詩や短い雑話を読むのがよいのです。意味がすぐに分かり、長く引きずらないからです。心が暇で用事もないときは、長い文章、たとえば経書の注釈、歴史書の伝記、古人の文集などを読むのがよいのです。これは風雨の時や寒い夜にとりわけ向いています。また、こうも言われます。「手が忙しく心が暇なら考えごとをし、心が忙しく手が暇なら横になる。心も手も暇なら著作をし字を書き、心も手も忙しいなら、早くその用事を終えて自分の精神を安らげることを考える」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・雜言魯の哀公、孔子に問いて曰く、「智者は寿ぶるか」と。孔子曰く、「然り。人に三死有りて命に非ざる者は、人自ら之を取るなり。夫れ寝処時ならず、飲食節ならず、佚労度を過ぐる者は、疾共に之を殺す。下位に居りて上其の君に忤らい、嗜欲厭くこと無くして、求めて止まざる者は、刑共に之を殺す。少きを以て衆を犯し、弱きを以て強きを侮り、忿怒力を量らざる者は、兵共に之を殺す。此の三者は、命に非ざるなり、人自ら之を取るなり。詩に云う、『人にして儀無くんば、死せずして何を為さん』と。此を之れ謂うなり」と。
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『韓非子』觀行第二十四西門豹の性は急なり、故に韋を佩びて以て自ら緩くし、董安于の心は緩なり、故に弦を佩びて以て自ら急にす。
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孟子・告子章句上孟子曰く、「人の身に於けるや、愛する所を兼ぬ。愛する所を兼ぬれば、則ち養う所を兼ぬ。無尺寸の膚も愛せざること無ければ、則ち尺寸の膚も養わざること無きなり。其の善不善を考うる所以の者は、豈に他有らんや。己に於て之を取るのみ。體に貴賤有り、小大有り。小を以て大を害すること無く、賤を以て貴を害すること無かれ。其の小を養う者は小人為り、其の大を養う者は大人為り。今場師有り。其の梧檟(ゴ・カ)を舎てて、其の樲棘(ジ・キョク)を養わば、則ち賤場師と為さん。其の一指を養いて、而も其の肩背を失いて知らざれば、則ち狼疾人と為さん。飲食の人は、則ち人之を賤む。其の小を養いて以て大を失うが為なり。飲食の人も失うこと有る無ければ、則ち口腹豈に適だ尺寸の膚の為のみならんや。」
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説苑・說叢已に雕り已に琢けば、還って樸に反る。物の相反する、復た本に歸る。流れに循いて下れば、以て至り易く、風に倍きて馳すれば、以て遠ざかり易し。兵豫め定めざれば、以て敵を待つこと無く、計先んじて慮らざれば、以て卒に應ずること無し。中方ならず、名章らかならず、外圜ならざる、禍の門なり。直にして枉ぐる能わざれば、與に大任すべからず。方にして圜する能わざれば、與に長存すべからず。之を身に慎み、云云と曰う無かれ。狂夫の言も、聖人擇ぶ。能く恥を忍ぶ者は安く、能く辱を忍ぶ者は存す。脣亡びて齒寒く、河水崩るるも、其の懷は山に在り。智を毒する者は酒より甚だしきは莫く、事を留むる者は樂より甚だしきは莫く、廉を毀る者は色より甚だしきは莫く、剛を摧く者は己を弱に反す。富は足るを知るに在り、貴は退くを求むるに在り。先んじて事を憂うる者は後に樂しみ、先んじて事を傲る者は後に憂う。福は諫を受くるに在り、存する所以なり。恭敬遜讓、精廉謗無く、慈仁人を愛せば、必ず其の賞を受く。諫めて聽かれざれば、後與に爭う無し。事を舉げて當たらざれば、百姓の為に謗らる。悔いは妄に在り、患いは先唱に在り。
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伝習録・黄以方録鄒謙之、嘗て徳洪に語りて曰く、「舒国裳、曾て一張の紙を持ち、先生に『拱把の桐梓』の一章を写さんことを請う。先生、筆を懸けて書を為す。『身に至りて之を養う所以を知らざる者』に到り、顧みて笑いて曰く、『国裳、書を読み、中ごろ状元を過ぎ来たる。豈に誠に身の当に養うべき所以を知らざらんや。還た須らく此を誦して以て警を求むべきか』と。一時、侍に在る諸友、皆な惕然たり」と。
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菜根譚・後集眼は西晋の荊榛を看るも、猶お白刃を矜る。身は北邙の狐兎に属するも、尚お黄金を惜しむ。語に云う、「猛獣は伏し易く、人心は降し難し。谿壑は塡(うず)め易く、人心は満たし難し」と。信なるかな。