酔古堂剣掃 / 集素・惟だ好き樣を兒孫に留むるのみ
吾之一身,常有少不同壯,壯不同老;吾之身後,焉有子能肖父,孫能肖祖?如此期,必屬妄想,所可盡者,惟留好樣與兒孫而已。
新字:吾之一身,常有少不同壮,壮不同老;吾之身後,焉有子能肖父,孫能肖祖?如此期,必属妄想,所可尽者,惟留好様与児孫而已。
書き下し
吾の一身すら、常に少は壯に同じからず、壯は老に同じからざる有り。 吾の身後、焉んぞ子の能く父に肖、孫の能く祖に肖る有らんや。 此くの如く期するは、必ず妄想に屬す、盡くすべき所の者は、惟だ好き樣を兒孫に留むるのみ。
現代語訳
自分一人の身でさえ、若い時は壮年の時と同じではなく、壮年の時は老年の時と同じではありません。まして自分の死んだ後、どうして子が父に似て、孫が祖父に似ることがありましょうか。そのように期待するのは、きっと妄想にすぎません。尽くすことができるのは、ただ良い手本を子や孫に残しておくことだけです。
解説
子孫に自分と同じであることを求める愚かさを説き、残せるのは手本だけだと結んだ一則です。自分自身でさえ、若い頃、壮年、老年と変わっていきます。まして別の人間である子や孫が、自分と同じ考えや生き方をするはずがありません。肖は似ることです。そう期待するのは妄想であり、親にできるのは、好き様、つまり良い生き方の手本を残すことだけだと言います。家業の継承や子育てで、自分の思い通りの後継者を求めて悩む人は今も多いものです。相手を変えようとするより、自分の生き方で見せることが、結局はいちばん確かに伝わるのかもしれません。
この章句が説くこと
家訓承継子育て手本修身
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集靈・其の積累の難きを念ふべし祖宗の德澤を問へば、吾が身の享くる所の者、是れなり、當に其の積累の難きを念ふべし。 子孫の福祉を問へば、吾が身の貽す所の者、是れなり、要ず其の傾覆の易きを思ふべし。
-
『酔古堂剣掃』集醒・金帛多ければ子孫の眼淚少なし金帛多ければ、只だ是れ垂死の時に子孫の眼淚少なきを博し得るのみ、其の他を知らず、爭ひ有るを知るのみ。金帛少なければ、只だ是れ垂死の時に子孫の眼淚多きを博し得るのみ、亦た其の他を知らず、哀しみ有るを知るのみ。
-
『酔古堂剣掃』集奇・貨財を以て子孫を害す貨財を以て子孫を害するは、必ずしも戈を操りて室に入らず。學校を以て後世を殺すは、劍を按じ兵を伏するが如き有り。
-
『酔古堂剣掃』集奇・佳子弟に非ず一石一樹を以て人に與ふる者は、佳子弟に非ず。
-
『酔古堂剣掃』集素・吾は本薄福の人なり吾は本薄福の人なり、宜しく福を惜しむの事を行ふべし。 吾は本薄德の人なり、宜しく德を厚くするの事を行ふべし。
-
『酔古堂剣掃』集素・真を葆つは思ひを少なくするに如くは莫し真を葆つは思ひを少なくするに如くは莫く、過ちを寡なくするは事を省くに如くは莫し。 善く應ずるは心を收むるに如くは莫く、謬りを解くは志を澹くするに如くは莫し。