酔古堂剣掃 / 集奇・佳子弟に非ず
以一石一樹與人者,非佳子弟。
新字:以一石一樹与人者,非佳子弟。
書き下し
一石一樹を以て人に與ふる者は、佳子弟に非ず。
現代語訳
家の庭の石一つ、木一本でも人に与えてしまう者は、よい子孫ではありません。
解説
先祖が愛した庭を守ることを子孫に求めた一句です。唐の宰相李徳裕は、洛陽郊外に平泉荘という別荘を造り、天下の名石や名木を集めました。そして子孫に対し、平泉を売る者は我が子孫ではなく、その一樹一石でも人に与える者はよい子弟ではない、と戒めたと伝えられます。この句はそれを踏まえたものでしょう。佳子弟は、よくできた子や弟、つまり立派な子孫のことです。石一つ、木一本にも、先祖が込めた思いや歴史が宿っています。家に伝わる物を安易に手放さず、そこに込められた心を受け継ぐことの大切さを教えてくれます。形見や家の品を見直すきっかけにもなるでしょう。
この章句が説くこと
家訓子孫庭園継承孝
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