酔古堂剣掃 / 集醒・金帛多ければ子孫の眼淚少なし
金帛多,只是博得垂死時子孫眼淚少,不知其他,知有爭而已;金帛少,只是博得垂死時子孫眼淚多,亦不知其他,知有哀而已。
新字:金帛多,只是博得垂死時子孫眼涙少,不知其他,知有争而已;金帛少,只是博得垂死時子孫眼涙多,亦不知其他,知有哀而已。
書き下し
金帛多ければ、只だ是れ垂死の時に子孫の眼淚少なきを博し得るのみ、其の他を知らず、爭ひ有るを知るのみ。金帛少なければ、只だ是れ垂死の時に子孫の眼淚多きを博し得るのみ、亦た其の他を知らず、哀しみ有るを知るのみ。
現代語訳
財産が多ければ、死に際に子や孫の流す涙が少なくなるだけです。彼らはほかのことに気が回らず、ただ遺産の争いがあることしか知りません。財産が少なければ、死に際に子や孫の流す涙が多くなるだけです。彼らはやはりほかのことに気が回らず、ただ悲しみがあることしか知りません。
解説
子孫に財産を残すことの皮肉を、死に際の情景で描いた一則です。金帛は金銭と絹で、財産のことです。財産を多く残せば、子や孫は悲しむより先に遺産の分け方に気を取られ、争いを始めます。財産が少なければ、争うものがないので、ただ純粋に故人を悼んで涙を流します。財産の多少と涙の多少が逆になるという対比が、鋭く胸に刺さります。多くの財を残すことが、必ずしも子孫の幸せにつながらないという教えは、漢の疏広が財を子孫に残さず散じた話などにも見えます。子に何を残すかを考えるとき、財産の額よりも、家族の絆や生き方の手本を残すことのほうが大切なのではないでしょうか。
この章句が説くこと
家訓財産清貧無常家族
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