酔古堂剣掃 / 集靈・談ずる所は浮生の閒話
累月獨處,一室蕭條;取雲霞為伴侶,引青松為心知。或稚子老翁,閒中來過,濁酒一壺,蹲鴟一盂,相共開笑口,所談浮生閒話,絕不及市朝。客去關門,了無報謝,如是畢餘生足矣。
新字:累月独処,一室蕭条;取雲霞為伴侶,引青松為心知。或稚子老翁,閒中来過,濁酒一壺,蹲鴟一盂,相共開笑口,所談浮生閒話,絶不及市朝。客去関門,了無報謝,如是畢余生足矣。
書き下し
累月獨り處り、一室蕭條たり。雲霞を取りて伴侶と為し、青松を引きて心知と為す。或いは稚子老翁、閒中に來り過ぎれば、濁酒一壺、蹲鴟一盂、相共に笑口を開き、談ずる所は浮生の閒話、絕えて市朝に及ばず。客去れば門を關ざし、了に報謝無し、是の如くして餘生を畢へなば足れり。
現代語訳
何か月も一人で暮らし、部屋はがらんとして寂しいものです。雲や霞を連れ合いとし、青い松を心の友とします。ときおり子どもや老人が暇な折に立ち寄れば、濁り酒を一壺、里芋を一鉢出して、一緒に大笑いし、話すことといえばこの世の他愛ない話ばかりで、世間の損得や政治のことには決して触れません。客が帰れば門を閉め、お礼の挨拶もしません。こうして余生を終えられれば、それで十分です。
解説
飾らない隠棲の暮らしと、気のおけない付き合いを描いた一則です。蕭條はひっそりと寂しいさま、心知は心の分かる友です。蹲鴟は里芋のことで、形がうずくまったふくろうに似ていることからこう呼ばれます。市朝は市場と朝廷、つまり商売と政治の世界です。報謝無しは、客を迎えた後のお礼や返礼をしないことで、形式ばった付き合いから自由であることを示しています。子どもや老人とたわいない話をして笑い合い、損得の話は一切しない。そこには、肩書きも利害もない人間どうしの温かさがあります。今の暮らしの中にも、こうした気楽な付き合いの場を持てると、心がずいぶん軽くなるはずです。
この章句が説くこと
隠逸交友閑適清貧自然
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