酔古堂剣掃 / 集素・釣は鶴に因りて守らせ果は猿に收めしむ
眉公居山中,有客問山中何景最奇,曰:「雨後露前,花朝雪夜。」又問何事最奇,曰:「釣因鶴守,果遣猿收。」
新字:眉公居山中,有客問山中何景最奇,曰:「雨後露前,花朝雪夜。」又問何事最奇,曰:「釣因鶴守,果遣猿収。」
書き下し
眉公山中に居る、客有り山中何の景か最も奇なると問ふ。 曰く「雨の後、露の前、花の朝、雪の夜」と。 又何事か最も奇なると問ふ。 曰く「釣は鶴に因りて守らせ、果は猿を遣はして收めしむ」と。
現代語訳
眉公(明の陳継儒)が山中に住んでいたとき、ある客が「山の中ではどんな景色がいちばんすばらしいですか」と尋ねました。眉公は「雨の後、露の降りる前、花の咲く朝、雪の夜です」と答えました。客がさらに「どんなことがいちばんすばらしいですか」と尋ねると、「釣りは鶴に番をさせ、木の実は猿に取り入れさせることです」と答えました。
解説
明末の文人陳継儒の山居の趣を伝える逸話です。眉公は陳継儒の号で、若くして官途を捨て、山に隠れ住んで著述に励みました。『酔古堂剣掃』が後に『小窓幽記』と改題されて彼の作と偽られたのも、こうした隠士としての名声があったからです。景色については、雨上がり、露の降りる前、花の朝、雪の夜と、移ろいの一瞬を挙げます。すばらしい事としては、鶴に釣り糸の番をさせ、猿に果物を採らせるという、動物と共に暮らすような戯れを語ります。山の暮らしの楽しみは、特別な出来事ではなく、ありふれた時間の一瞬と自然との親しさの中にあると伝えています。
この章句が説くこと
隠逸自然風雅陳継儒山居
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