酔古堂剣掃 / 集素・水觀を作す
暑中嘗默坐,澄心閉目,作水觀久之,覺肌發灑灑,幾閣間似有爽氣。
新字:暑中嘗黙坐,澄心閉目,作水観久之,覚肌発灑灑,幾閣間似有爽気。
書き下し
暑中嘗て默坐し、心を澄まし目を閉ぢ、水觀を作すこと之を久しうすれば、肌發灑灑として、幾閣の間に爽氣有るに似たるを覺ゆ。
現代語訳
暑い盛りに、かつて黙って座り、心を澄ませ目を閉じて、しばらく水を心に思い浮かべる観想をしていました。すると肌や髪がさっぱりと涼しくなり、机や棚のあたりに爽やかな気が漂っているように感じられました。
解説
暑さを心の工夫でしのぐ体験を記した一則です。水観は、仏教の観想法の一つで、『観無量寿経』の十六観の第二に、清らかな水を心に思い浮かべる水想観があります。目を閉じて水を思い描き続けると、肌や髪まで涼しくなり、部屋の中に爽やかな気が満ちるように感じたと言います。灑灑はさっぱりとしたさま、幾閣は机や棚を指すと見られます。心頭を滅却すれば火もまた涼しという言葉にも通じる考え方です。暑さや忙しさに苛立つときも、少し目を閉じて心を静める時間を持つと、感じ方が変わってくるものです。
この章句が説くこと
禅養生心境静坐忍
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