酔古堂剣掃 / 集素・人人自ら拒む者は何ぞや
袁石公云:「長安風雪夜,古廟冷鋪中,乞兒丐僧,齁齁如雷吼,而白髭老貴人,擁錦下帷,求一合眼不得。嗚呼!松間明月,檻外青山,未常拒人,而人人自拒者何哉?」集素第五。
新字:袁石公云:「長安風雪夜,古廟冷鋪中,乞児丐僧,齁齁如雷吼,而白髭老貴人,擁錦下帷,求一合眼不得。嗚呼!松間明月,檻外青山,未常拒人,而人人自拒者何哉?」集素第五。
書き下し
袁石公云ふ、「長安の風雪の夜、古廟の冷鋪の中、乞兒丐僧、齁齁として雷の吼ゆるが如し。而して白髭の老貴人は、錦を擁し帷を下ろして、一たび眼を合はするを求むるも得ず。 嗚呼、松間の明月、檻外の青山、未だ常て人を拒まず、而るに人人自ら拒む者は何ぞや」と。 集素第五。
現代語訳
袁石公(明の袁宏道)はこう言っています。「長安の風雪の夜、古びた廟の冷えた寝床の中で、物乞いの子や托鉢の僧は、雷がとどろくようにぐうぐういびきをかいて眠っている。ところが白いひげの年老いた貴人は、錦の布団にくるまり帳を下ろしても、ひと目も眠ることができない。ああ、松の間の明月や手すりの外の青山は、これまで人を拒んだことがないのに、人々が自分からそれを拒んでいるのはどうしてなのか」。これを集素第五とします。
解説
集素の巻頭に置かれた陸紹珩の小序で、素朴な暮らしの句を集めた理由を、袁宏道の言葉を借りて示しています。袁石公は明末の文人袁宏道の号で、自由な心の表現を重んじた公安派の中心人物です。凍える古廟でぐっすり眠る貧しい者と、豪華な寝具の中で眠れない老貴人とを対比し、安らぎは財や地位では得られないことを鮮やかに描きます。松間の明月、檻外の青山は誰にでも開かれた自然の美しさで、それを拒んでいるのは人のほうだと言います。素とは飾らない白い生地のことです。何を足すかより、何を求めすぎているかを見直すよう促す序です。
この章句が説くこと
清貧素朴安眠自然知足
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