酔古堂剣掃 / 集靈・火宅炎宮に蓮花忽ち迸る
逃暑深林,南風逗樹;脫帽露頂,沉李浮瓜;火宅炎宮,蓮花忽迸;較之陶潛臥北窗下,自稱羲皇上人,此樂過半矣。
新字:逃暑深林,南風逗樹;脱帽露頂,沈李浮瓜;火宅炎宮,蓮花忽迸;較之陶潜臥北窗下,自称羲皇上人,此楽過半矣。
書き下し
暑を深林に逃るれば、南風樹に逗まる。 帽を脫ぎて頂を露はし、李を沈め瓜を浮かぶ。 火宅炎宮に、蓮花忽ち迸る。 之を陶潛の北窗の下に臥して、自ら羲皇上人と稱するに較ぶれば、此の樂しみ半ばに過ぐ。
現代語訳
暑さを避けて深い林に入ると、南風が木々の間にとどまって涼しく吹きます。帽子を脱いで頭をむき出しにし、すももを水に沈め瓜を浮かべて冷やします。燃える家のような炎暑の世にあって、蓮の花がにわかに咲き開いたかのようです。陶潜(東晋の陶淵明)が北の窓の下に寝ころび、自分を太古の伏羲の世の人だと言った楽しみと比べても、この楽しみはそれを半ばほども上回るでしょう。
解説
夏の暑さをしのぐ楽しみを生き生きと描いた一則です。沈李浮瓜は、すももや瓜を冷たい水に沈め浮かべて冷やすことで、魏の曹丕が呉質に宛てた手紙にも見える夏の涼の定番です。火宅は『法華経』のたとえで、煩悩に燃える世を燃える家になぞらえた言葉です。その中に蓮の花が咲くとは、炎暑のなかにふと訪れた清涼を言います。陶淵明は、北窓の下に臥して涼風が吹けば自ら羲皇上人と謂うと書きました。素朴な太古の人になった気分だというのです。夏の小さな涼を大きな喜びとして味わう心の持ち方が伝わります。
この章句が説くこと
閑適自然夏陶淵明清涼
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