酔古堂剣掃 / 集靈・想ひて非非想に到る
想到非非想,茫然天際白雲;明至無無明,渾矣台中明月。
書き下し
想ひて非非想に到れば、茫然たる天際の白雲。 明らかにして無無明に至れば、渾たり台中の明月。
現代語訳
思いを極めて、想うのでも想わないのでもない境地に至れば、それは空の果てにぼんやりと浮かぶ白い雲のようです。明らかさを極めて、無明すら無い境地に至れば、それは台の上に照る明月のように渾然と一つです。
解説
仏教の語を用いて、悟りの境地を景色にたとえた対句です。非非想は非想非非想処のことで、思いがあるのでもなく無いのでもない、瞑想の最も高い段階とされます。無無明は『般若心経』の無無明の句を踏まえた言葉で、迷いの根本である無明すら無いということです。台は、心を指す霊台とも読めます。その境地を、天の果ての白雲の茫漠さと、台上の明月の渾然とした明るさで表しています。考え抜いた末に考えを手放し、雲や月のように澄んだ心に至るという道筋です。考えすぎて行き詰まったとき、いったん手放すことの意味を思わせます。
この章句が説くこと
禅仏教悟り明月無心
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