酔古堂剣掃 / 集靈・身に一物無くして茅庵に到る
業淨六根成慧眼,身無一物到茅庵。
新字:業浄六根成慧眼,身無一物到茅庵。
書き下し
業淨くして六根慧眼を成し、身に一物無くして茅庵に到る。
現代語訳
行いが清められて六根(目・耳・鼻・舌・身・意)が智慧の眼となり、身に何ひとつ持たずに草庵にたどり着きます。
解説
仏教の語を用いて、清らかな修行の姿を描いた対句です。業は身と口と心の行い、六根は目・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚のはたらきを言います。これらが清められると、物事の本当の姿を見抜く慧眼がそなわると言います。後半の身無一物は、禅でよく言われる本来無一物を思わせる言葉で、何も抱えずに粗末な庵に住む身軽さを表します。内面の清らかさと外面の身軽さが対になっています。持ち物や肩書きを減らしたときに、かえって物事がよく見えるようになる経験は、今の私たちにもあるのではないでしょうか。
この章句が説くこと
仏教清貧修行無一物心眼
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