酔古堂剣掃 / 集靈・許多の伶俐の人を喚び醒まさず
苦惱世上,度不盡許多癡迷漢,人對之腸熱,我對之心冷;嗜欲場中,喚不醒許多伶俐人,人對之心冷,我對之腸熱。
新字:苦悩世上,度不尽許多痴迷漢,人対之腸熱,我対之心冷;嗜欲場中,喚不醒許多伶俐人,人対之心冷,我対之腸熱。
書き下し
苦惱の世上、許多の癡迷の漢を度し盡くさず、人は之に對して腸熱く、我は之に對して心冷やかなり。 嗜欲の場中、許多の伶俐の人を喚び醒まさず、人は之に對して心冷やかに、我は之に對して腸熱し。
現代語訳
苦しみ悩みに満ちた世の中には、救いきれないほど多くの愚かに迷う者がいます。人々はそうした者に熱心になりますが、私は冷ややかに見ています。欲望の渦巻く場には、呼び覚ませないほど多くの利口な人がいます。人々はそうした者に冷淡ですが、私は熱い思いを抱きます。
解説
世間と逆の方向に熱意を向ける、ひねりのきいた対句です。度すは仏教の言葉で、迷いから救い出すことです。世の人は愚かに迷う者を救おうと熱心になりますが、作者はそこには冷ややかです。むしろ、頭がよく才覚がありながら欲望に溺れている人こそ救いたいと熱くなります。伶俐は利口なことです。愚かさは本人も自覚しやすいのに対し、賢い人の欲望は理屈で飾られて見えにくく、危うさも大きいという洞察が込められています。有能な人ほど周りが諫めにくいものです。だからこそ、真剣に向き合う相手が必要なのでしょう。
この章句が説くこと
嗜欲処世諫言慈悲覚醒
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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