師導古典を学びたいすべての人に

葉隠 / 聞書第一

或人覺悟の體覺書に、主君の身邊勤むる者は別けて身持覺悟愼むべきことなり。御側の者の様子を見て、主人のたけを人が積るものなり。今は御機嫌惡し、序でになどと思うて居る内に、不圖御誤もあるべきことなり。又諫言は時を移さず申上ぐべきことなり。仰出濟みて後も、其の者に理を附け、少しづゝもよき様に云ひなせば、歸參も早きものなり。又仕合せよき人には、無音しても苦しからず、侍の義理なり。又科人をわろく云ふは不義理の事なり。落ちぶれたる者には隨分不憫を加へ、何とぞ立直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。

新字:或人覺悟の体覺書に、主君の身辺勤むる者は別けて身持覺悟慎むべきことなり。御側の者の様子を見て、主人のたけを人が積るものなり。今は御機嫌悪し、序でになどと思うて居る内に、不図御誤もあるべきことなり。又諫言は時を移さず申上ぐべきことなり。仰出済みて後も、其の者に理を附け、少しづゝもよき様に云ひなせば、歸参も早きものなり。又仕合せよき人には、無音しても苦しからず、侍の義理なり。又科人をわろく云ふは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫を加へ、何とぞ立直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。

書き下し

或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。

現代語訳

ある人の覚悟をまとめた覚書にこうある。主君のそば近くに仕える者は、とりわけ身持ちと覚悟を慎むべきだ。側近の様子を見て、人は主君の器量を推し量るものだからである。「今はご機嫌が悪い、何かのついでに申し上げよう」などと思っているうちに、思わぬ主君の過ちが起きてしまうこともある。だから諫言は時を移さずすぐに申し上げるべきだ。処罰の命が下ったあとでも、その者をかばう理屈をつけ、少しでもよいように取りなせば、帰参(復帰)も早くなる。また、境遇のよい人には便りをしなくても構わない、それが侍の義理だ。罪を得た人を悪く言うのは不義理である。落ちぶれた者にはできる限り憐れみをかけ、なんとか立ち直らせるようにするのが侍の義理だ、とある。

解説

側近の振る舞いから主君の格が測られる、という指摘に始まる一条です。だからこそ側に仕える者は身を慎み、諫言はためらわず即座に行い、時機を待つうちに主君の過ちを招くな、と説きます。背景には、主君と家臣が一体となって家の名を保つという葉隠の考えがあります。さらに印象的なのは、罰せられた者や落ちぶれた者をこそかばい、立ち直らせよという後段です。順境の人への義理は薄くてよいが、逆境の人には手厚くせよという逆説的な情の説き方です。現代でも、リーダーの評価は身近な人の態度に表れ、進言は先送りせず、苦境にある同僚にこそ手を差し伸べる、という形で読み替えられるでしょう。

この章句が説くこと

諫言即時性側近の責任逆境への情義理立ち直りを助ける

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる