酔古堂剣掃 / 集靈・姓字を將て呼牛に任す
韶光去矣,嘆眼前歲月無多,可惜年華如疾馬;長嘯歸與,知身外功名是假,好將姓字任呼牛。
新字:韶光去矣,嘆眼前歳月無多,可惜年華如疾馬;長嘯帰与,知身外功名是仮,好将姓字任呼牛。
書き下し
韶光去れり、眼前の歲月多き無きを嘆く、惜しむべし年華の疾馬の如きを。 長嘯して歸らんか、身外の功名は是れ假なるを知る、好し姓字を將て呼牛に任せん。
現代語訳
麗しい春の光は去ってしまいました。目の前に残る歳月が多くないことを嘆きます。惜しいことに、年月は駆ける馬のように速く過ぎていきます。声を長く引いて歌いながら故郷へ帰ろう。身の外の功名はかりそめのものだと分かったのだから、自分の名など、牛と呼ばれようと人の呼ぶにまかせておけばよいのです。
解説
過ぎゆく時への嘆きと、名声への執着を捨てる決意を対にした一則です。韶光は春の美しい光で、若い日々をたとえます。長嘯は声を長く引いて歌うこと、帰らんかは『論語』公冶長篇で孔子が帰らんかと言った言葉を踏まえます。呼牛は『荘子』天道篇で、老子が、私を牛と呼べば牛と応じ、馬と呼べば馬と応じると語った話によります。人にどう呼ばれようと気にしないという境地です。限られた時間を、評判のためではなく、自分にとって本当に大切なことに使いたいと思わせる句です。
この章句が説くこと
無常功名隠逸処世荘子
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