酔古堂剣掃 / 集靈・十年の塵胃を浣ひ盡す
古人特愛松風,庭院皆植松,每聞其響,欣然往其下,曰:「此可浣盡十年塵胃。」
新字:古人特愛松風,庭院皆植松,毎聞其響,欣然往其下,曰:「此可浣尽十年塵胃。」
書き下し
古人特に松風を愛し、庭院に皆松を植ゑ、其の響きを聞く每に、欣然として其の下に往きて曰く、「此れ十年の塵胃を浣ひ盡すべし」と。
現代語訳
昔の人に、とりわけ松風を愛した人がいて、庭にはすべて松を植え、その響きを聞くたびに、喜んでその下に行って言いました。「これで十年分の俗世の塵にまみれた胃袋をすっかり洗い清められる」と。
解説
松風の音を愛した人の逸話です。南朝梁の陶弘景が、とりわけ松風を愛し、庭に松を植えて、その音を聞くたびに楽しんだという話が南史に見えます。ここではさらに、十年の塵胃を洗い尽くす、という言葉が加えられています。塵胃は俗世の塵がたまった胃袋、つまり世俗の欲や煩いに汚れた心身のことです。浣ふは洗うことです。松の枝を吹き抜ける風の音は、古くから清らかさの象徴とされ、茶の湯でも湯の沸く音を松風と呼びます。音には心を洗う力があります。忙しさに疲れたとき、風の音や水の音に耳を傾ける時間を持つと、心が生き返ります。
この章句が説くこと
自然清心閑適隠逸故事
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