酔古堂剣掃 / 集靈・一分の閒事を攬れば永く閒を得ず
說得一句好言,此懷庶幾才好。攬了一分閒事,此身永不得閒。
新字:説得一句好言,此懐庶幾才好。攬了一分閒事,此身永不得閒。
書き下し
一句の好言を說き得れば、此の懷庶幾くは才かに好し。一分の閒事を攬り了れば、此の身永く閒を得ず。
現代語訳
よい言葉を一言でも口にできれば、この胸のうちもどうにかよい気持ちになります。わずかでも余計なことを抱えこんでしまうと、この身はいつまでも暇を得られません。
解説
言葉と用事について、口語まじりで軽やかに述べた一則です。好言はよい言葉、人を励ましたり和ませたりする言葉です。庶幾くはどうにか、才かにやっと、の意味です。閒事は自分に関係のない余計な事、攬るは抱えこむことです。よい言葉を一つかけるだけで、相手ばかりか自分の心まで明るくなります。反対に、余計なことに少しでも首を突っこむと、次々と用事が増えて、いつまでも自由な時間が得られなくなります。よい言葉は惜しまずかけ、余計なことはむやみに引き受けない。この二つを心がけるだけで、人付き合いも時間の使い方も、ずっと楽になるはずです。
この章句が説くこと
言葉閑暇処世節度心
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