酔古堂剣掃 / 集靈・才有りて建用する所無し
有快捷之才,而無所建用,勢必乘憤激之處,一逞雄風;有縱橫之論,而無所發明,勢必乘簧鼓之場,一恣餘力。
新字:有快捷之才,而無所建用,勢必乗憤激之処,一逞雄風;有縦横之論,而無所発明,勢必乗簧鼓之場,一恣余力。
書き下し
快捷の才有りて、建用する所無ければ、勢ひ必ず憤激の處に乘じて、一たび雄風を逞しうし、縱橫の論有りて、發明する所無ければ、勢ひ必ず簧鼓の場に乘じて、一たび餘力を恣にす。
現代語訳
すばやく切れる才能がありながら、それを生かす場がなければ、どうしても憤りが高ぶる場面に乗じて、ひとたび荒々しい威勢をふるってしまいます。自在な弁論の力がありながら、それで何かを明らかにする場がなければ、どうしても人を言いくるめる場に乗じて、ひとたび有り余る力をほしいままにしてしまいます。
解説
生かされない才能は、悪い方向に噴き出してしまうという、鋭い人間観察の一則です。快捷の才はすばやく鋭い才能、建用はそれを用いて何かを打ち立てることです。縱橫の論は自在な弁舌で、戦国時代の縦横家を思わせます。發明は物事の道理を明らかにすること、簧鼓は笛や太鼓を鳴らすように巧みな言葉で人を惑わすことで、荘子にも見える言葉です。才能ある人が活躍の場を与えられないと、その力は不満や扇動に向かってしまいます。組織でも、能力のある人を持てあまして放っておくと、かえって混乱の種になりかねません。才能には、ふさわしい働き場所を用意することが大切なのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
人材才能治政処世弁論
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