酔古堂剣掃 / 集靈・詩を詠ずるは蘋末に風の起るが如し
讀書如竹外溪流,灑然而往;詠詩如蘋末風起,勃焉而揚。
新字:読書如竹外渓流,灑然而往;詠詩如蘋末風起,勃焉而揚。
書き下し
書を讀むは竹外の溪流の如く、灑然として往き、詩を詠ずるは蘋末に風の起るが如く、勃焉として揚る。
現代語訳
書物を読むのは、竹林の外を流れる谷川のようで、さらさらと流れていきます。詩を詠むのは、浮き草の葉先から風が起こるようで、むくむくと舞い上がります。
解説
読書と作詩の理想の姿を、自然の動きにたとえた対句です。灑然はさっぱりと、滞りなく流れるさまです。蘋末に風の起るは、宋玉の風賦に、風は地に生じ青蘋の末に起こる、とあるのを踏まえ、小さなところから大きな風が起こることをいいます。勃焉は勢いよく湧き起こるさまです。読書は、無理に力まず、谷川の水のように自然に流れるように読むのがよく、詩は、小さなきっかけから感興が一気に湧き上がるようにして生まれるのがよいというのです。何かを学ぶときも創るときも、力みすぎず、自然な流れと勢いを大切にすると、よい結果が生まれやすいものです。
この章句が説くこと
読書詩自然創作学問
関連する章句
-
人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
-
歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
-
論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。