酔古堂剣掃 / 集靈・譽を見て喜ぶ者は佞の媒
聞謗而怒者,讒之囮;見譽而喜者,佞之媒。
新字:聞謗而怒者,讒之囮;見誉而喜者,佞之媒。
書き下し
謗りを聞きて怒る者は、讒の囮なり、譽を見て喜ぶ者は、佞の媒なり。
現代語訳
悪口を聞いて怒る人は、告げ口をする者のおとりとなり、ほめ言葉を聞いて喜ぶ人は、へつらう者の仲立ちとなります。
解説
悪口とほめ言葉への反応が、かえって悪い人を招き寄せるという鋭い一則です。讒は人をおとしいれる告げ口、囮はおとり、佞は口先のへつらい、媒は仲立ちです。悪口を聞いてすぐ怒る人には、それを利用しようとする告げ口屋が集まってきます。ほめられて喜ぶ人には、へつらってうまく取り入ろうとする者が近づいてきます。つまり、人の言葉に一喜一憂する弱さが、周りに悪い人を寄せつける原因になるのです。上に立つ人ほど、耳に入る噂や賛辞を鵜呑みにせず、冷静に受け止める必要があります。感情を動かされたときこそ、一呼吸おいて相手の意図を考えたいものです。
この章句が説くこと
讒言自制治政処世修身
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