酔古堂剣掃 / 集靈・事を敗るは多く志を得る時に因る
成名每在窮苦日,敗事多因得志時。
新字:成名毎在窮苦日,敗事多因得志時。
書き下し
名を成すは每に窮苦の日に在り、事を敗るは多く志を得る時に因る。
現代語訳
名を成すのはいつも貧しく苦しい日々においてであり、事をしくじるのは多くの場合、思いどおりになった時のせいです。
解説
成功と失敗の時期を逆説的に言い当てた、よく知られた対句です。窮苦は貧しく苦しいこと、得志は志がかない、思いどおりの地位や境遇を得ることです。苦しいときは工夫と努力を重ねるので、それが後に名声となって実ります。反対に、成功して得意になると、慢心や油断から判断を誤り、事業や人間関係をしくじるのです。順境のときこそ謙虚に、逆境のときこそ希望を持って、という心得です。会社でも個人でも、業績の良いときに次の危機の種がまかれることが多いので、うまくいっている時期ほど、足もとを点検する習慣が大切です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
修身逆境慢心処世成功
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