酔古堂剣掃 / 集靈・分に安んじて禍を遠ざく
過份求福,適以速禍;安分遠禍,將自得福。
新字:過份求福,適以速禍;安分遠禍,将自得福。
書き下し
分を過ぎて福を求むるは、適に以て禍を速く。分に安んじて禍を遠ざくれば、將に自ら福を得んとす。
現代語訳
身の程を越えて福を求めれば、かえって禍を招き寄せるだけです。身の程に安んじて禍を遠ざけていれば、やがておのずと福を得るでしょう。
解説
福を追うより禍を避けよ、と説く簡潔な対句です。過份は分を越えること、分は自分に与えられた立場や力量を言います。速禍は禍を早く招くこと、安分は身の程に満足して落ち着くことです。福を得ようとして無理をすると、かえって禍を招き、欲を抑えて禍を避けることに努めれば、福は向こうからやって来るというのです。福を求める心と禍を避ける心は似ていますが、向きが逆で、後者のほうが確かな道だということです。投資でも事業でも、大きな利益を狙って無理をするより、まず損失を避けることを重んじるほうが、長い目で見て良い結果につながることが多いものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
知足禍福安分処世節制
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