酔古堂剣掃 / 集靈・萬卷を窮めて以て佛性を求む
皮囊速壞,神識常存,殺萬命以養皮囊,罪卒歸於神識。佛性無邊,經書有限,窮萬卷以求佛性,得不屬於經書。
新字:皮嚢速壊,神識常存,殺万命以養皮嚢,罪卒帰於神識。仏性無辺,経書有限,窮万巻以求仏性,得不属於経書。
書き下し
皮囊は速やかに壞れ、神識は常に存す、萬命を殺して以て皮囊を養へば、罪卒に神識に歸す。佛性は邊無く、經書は限り有り、萬卷を窮めて以て佛性を求むれば、得るは經書に屬せず。
現代語訳
肉体という皮袋はすぐに壊れますが、心の識はずっと残ります。多くの命を殺してこの肉体を養えば、その罪は結局心の識に帰ってきます。仏性には果てがありませんが、経典の書物には限りがあります。万巻を読み尽くして仏性を求めても、得られるものは経典の中にあるのではありません。
解説
肉体と心、経典と仏性という二組の対比で、仏道の要を説いた一則です。皮囊は皮の袋で、仏教で肉体を卑しんで言う言葉です。神識は輪廻を通じて続くとされる心の識のことです。前半は、肉体を養うために多くの生き物を殺せば、その報いは滅びる体ではなく、残り続ける心が受けると言い、殺生を戒めています。後半は、仏性は言葉を超えたものなので、経典をいくら読んでも、それだけでは得られないと説きます。禅でいう不立文字、教外別伝の考えに通じます。知識を集めることと、実際に身につけることは別であり、学んだことを自分の行いの中で確かめることが大切だと教えてくれます。
この章句が説くこと
仏教禅殺生読書修行
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