酔古堂剣掃 / 集靈・飽飫宴游は禍將に生ぜんとす
飢寒困苦福將至已,飽飫宴游禍將生焉。
新字:飢寒困苦福将至已,飽飫宴游禍将生焉。
書き下し
飢寒困苦は福將に至らんとし、飽飫宴游は禍將に生ぜんとす。
現代語訳
飢えや寒さに苦しんでいるときは、福がやって来ようとしているのです。満腹して宴に遊んでいるときは、禍が生まれようとしているのです。
解説
苦しい時と楽しい時の裏側にあるものを示した対句です。飽飫は食べ飽きるほど満ち足りること、宴游は宴会や遊びにふけることです。已と焉は文末の助字で、どちらも言い切る調子を添えます。困窮しているときは身を慎み努力するので、やがて福が訪れますが、満ち足りて遊びにふけっていると、気がゆるんで禍の種がまかれます。禍福はあざなえる縄のごとしと言われるように、幸不幸は入れ替わるものです。順調なときこそ気を引きしめ、苦しいときには、これが福の前触れだと信じて耐えることが大切です。
この章句が説くこと
禍福修身勤倹忍耐処世
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