酔古堂剣掃 / 集靈・飲食衣服に於て孔子を得
於射而得楫讓,於碁而得征誅;於忙而得伊周,於閒而得巢許;於醉而得瞿曇,於病而得老莊,於飲食衣服、出作入息,而得孔子。
新字:於射而得楫譲,於碁而得征誅;於忙而得伊周,於閒而得巣許;於酔而得瞿曇,於病而得老荘,於飲食衣服、出作入息,而得孔子。
書き下し
射に於て楫讓を得、碁に於て征誅を得。忙に於て伊周を得、閒に於て巢許を得。醉に於て瞿曇を得、病に於て老莊を得、飲食衣服、出作入息に於て、孔子を得。
現代語訳
弓の射礼からは譲り合いの礼を学び、碁からは征伐の道を学びます。忙しさの中では伊尹や周公(殷と周の名宰相)を知り、暇の中では巣父や許由(堯の時代の隠者)を知ります。酔いの中では瞿曇(釈迦)を知り、病の中では老子や荘子を知り、飲み食い、着ること、出て働き帰って休むことの中に、孔子を知るのです。
解説
日々のあらゆる営みの中に、古の聖賢の道を見いだす一則です。原文の楫讓は揖讓の誤りと考えられ、礼をして譲り合うことを言います。論語に、君子は射礼で揖讓して堂に上がるとあります。征誅は武力で悪を討つことで、碁の攻め合いをそれに重ねています。伊周は国政に尽くした伊尹と周公、巣許は天下を譲られても受けなかった隠者の巣父と許由、瞿曇は釈迦の姓です。酔えば執着を離れて仏に近づき、病めば生死を見つめて老荘に近づくと言います。最後に、ありふれた衣食住と日々の起居の中にこそ孔子の道がある、と結ぶところが要です。特別な修行をしなくても、日常の一つひとつから学べるという見方です。
この章句が説くこと
儒家学問日常仏教道家
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