酔古堂剣掃 / 集靈・士岩穴に隱るれば禍患焉にか至らん
鳥棲高枝,彈射難加;魚潛深淵,網釣不及;士隱岩穴,禍患焉至。
新字:鳥棲高枝,弾射難加;魚潜深淵,網釣不及;士隠岩穴,禍患焉至。
書き下し
鳥高枝に棲めば、彈射も加へ難し。魚深淵に潛めば、網釣も及ばず。士岩穴に隱るれば、禍患焉にか至らん。
現代語訳
鳥が高い枝に止まっていれば、はじき弓も矢も届きません。魚が深い淵に潜んでいれば、網も釣り糸も及びません。士が岩屋に隠れ住めば、災いがどうしてやって来るでしょうか。
解説
鳥と魚のたとえを重ねて、隠れ住むことの安全を説いた一則です。彈射ははじき弓と弓矢、網釣は網と釣り糸です。高い枝の鳥や深い淵の魚が捕らえられないように、世間から身を引いた士には、権力争いや讒言による禍いが及ばないと言います。荘子にも、鳥は高く飛んで矢の害を避け、鼠は深く穴を掘って禍を避けるという話があり、身を守る知恵として古くから語られてきました。現代では山に隠れることはできませんが、無用な争いの場から距離を置き、目立ちすぎないよう身を処することで、余計な災いを避けられることは多いものです。
この章句が説くこと
隠逸処世保身自然道家
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