酔古堂剣掃 / 集靈・君子は斷じて過ぎて人を疑はず
君子雖不過信人,君子斷不過疑人。
新字:君子雖不過信人,君子断不過疑人。
書き下し
君子は過ぎて人を信ぜずと雖も、君子は斷じて過ぎて人を疑はず。
現代語訳
君子は人を信じすぎることはしませんが、君子は決して人を疑いすぎることもしません。
解説
人を信じることと疑うことの程合いを説いた対句です。過信は度を越して信じること、過疑は度を越して疑うことです。君子は人の言葉をうのみにせず、確かめるべきところは確かめます。しかし、根拠もなく人を疑ってかかることは決してしません。前半の雖は、後半を強めるための譲歩で、編者が重く見ているのは疑いすぎないことのほうです。疑いすぎれば人は離れていき、自分の心もすさんでしまいます。仕事で人に任せるとき、確認の仕組みは整えつつも、相手の誠意を信じる姿勢を見せることが、人を育て、信頼関係を築くことにつながります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
処世信頼交友中庸君子
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