酔古堂剣掃 / 集靈・清の品に五有り
清之品有五:睹標致,發厭俗之心,見精潔,動出塵之想,名曰清興;知蓄書史,能親筆硯,布景物有趣,種花木有方,名曰清致;紙裹中窺錢,瓦瓶中藏粟,困頓於荒野,擯棄乎血屬,名曰清苦;指幽僻之耽,誇以為高,好言動之異,標以為放,名曰清狂;博極今古,適情泉石,文韻帶煙霞,行事絕塵俗,名曰清奇。
新字:清之品有五:睹標致,発厭俗之心,見精潔,動出塵之想,名曰清興;知蓄書史,能親筆硯,布景物有趣,種花木有方,名曰清致;紙裹中窺銭,瓦瓶中蔵粟,困頓於荒野,擯棄乎血属,名曰清苦;指幽僻之耽,誇以為高,好言動之異,標以為放,名曰清狂;博極今古,適情泉石,文韻帯煙霞,行事絶塵俗,名曰清奇。
書き下し
清の品に五有り。標致を睹て、厭俗の心を發し、精潔を見て、出塵の想ひを動かす、名づけて清興と曰ふ。書史を蓄ふるを知り、能く筆硯に親しみ、景物を布くに趣有り、花木を種うるに方有り、名づけて清致と曰ふ。紙裹の中に錢を窺ひ、瓦瓶の中に粟を藏し、荒野に困頓し、血屬に擯棄せらる、名づけて清苦と曰ふ。幽僻の耽を指して、誇りて以て高しと為し、言動の異を好みて、標して以て放と為す、名づけて清狂と曰ふ。今古に博極し、情を泉石に適はせ、文韻煙霞を帶び、行事塵俗を絕つ、名づけて清奇と曰ふ。
現代語訳
清らかさの品には五つあります。気品あるものを見ては俗を嫌う心を起こし、清らかなものを見ては俗世を抜け出したい思いを動かす、これを清興(清らかな興趣)と言います。書物や史書を蓄えることを知り、筆や硯に親しみ、景物の配置に趣があり、花や木の植え方に心得がある、これを清致(清らかな風致)と言います。紙包みの中の銭をのぞき見し、素焼きの瓶の中に粟をたくわえ、荒れ野で困窮し、身内からも見捨てられる、これを清苦(清らかな貧苦)と言います。人けのない所に耽ることを指して高尚だと誇り、言動の奇抜さを好んで放逸だと看板にする、これを清狂(清らかな狂気)と言います。古今の学問を極め、泉や石に心を遊ばせ、文章の響きは霞を帯び、行いは俗塵を絶っている、これを清奇(清らかな奇才)と言います。
解説
この章句が説くこと
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