酔古堂剣掃 / 集靈・即ち此れ便ち是れ立命なり
士君子盡心利濟,使海內少他不得,則天亦自然少他不得,即此便是立命。
新字:士君子尽心利済,使海内少他不得,則天亦自然少他不得,即此便是立命。
書き下し
士君子心を盡くして利濟し、海內をして他を少くを得ざらしむれば、則ち天も亦自然に他を少くを得ず、即ち此れ便ち是れ立命なり。
現代語訳
立派な人が心を尽くして人々を利し救い、天下がその人を欠くことができないようにすれば、天もまたおのずからその人を欠くことができなくなります。これこそが、命を立てるということです。
解説
天命を受け身で待つのではなく、世の役に立つことで自ら運命を築けと説く一則です。利濟は人々に利益を与え苦しみから救うこと、海內は天下のことです。少他不得は口語で、その人がいなくては困るという意味です。立命は孟子に出る言葉で、身を修めて天命を全うすることを言います。天下になくてはならない人になれば、天もその人を見捨てないというのは、了凡四訓などに見える、運命は自分でつくるという明代に広まった考えと重なります。職場や地域で、その人がいないと困ると言われる存在になることは、どんな肩書きにも勝る安心の土台になります。
この章句が説くこと
立命修身利他天命処世
関連する章句
-
『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、利他の行も自利の行も、たゞ劣なる方を捨てゝ勝なる方をとらば、大士の善行なるべし、老病を扶けんとて水菽の孝をいたすは、只今生暫時の妄愛、迷情の喜びばかりなり、迷情の有為に背きて無為の道を学せんは、設ひ遺恨は蒙ることありとも、出世の勝縁と成べし、是を思へ是を思へ、
-
『酔古堂剣掃』集奇・己を舍てて人の為にす大豪傑は、己を舍てて人の為にし、小丈夫は、人に因りて己を利す。
-
老子 第7章天長く地久なり。天地の以て長且つ久しう能くする者は、以て其の自ら生ぜざるを以てなり。是を以て聖人は其の身を後(のち)にして身先(せん)し、其の身を外にして身存す。非ざるか其の無私なるや。故に能く其の私を成す。
-
『正法眼蔵随聞記』巻五時に装問て云く、真実求法の為には、有為の父母師匠の思愛の障縁を一向にすつべき道理はまことに然かあるべし、但し父母師匠の恩愛等のかたは一向に捨離すとも、亦菩薩の行を存せん時は、自利をさしおきて利他を先とすべきか、然あるに老師重病切にして、亦他人のたすくべきもなく、幸に保護の我れ一人其の仁に当りたるを、自らの修行ばかりを思ひて、渠を扶けずんば、菩薩の行に背けるに似たるか、たゞ大士の善行をきらふべからず、縁に随ひ事に触れて仏法を存すべきか、もしこれらの道理によらば、亦止りてたすくべきか、何ぞ独り求法を思ひて老病の師を扶けざるや、いかん、
-
『正法眼蔵随聞記』巻一仏菩薩は人の来て請ふときは、身肉手足をも截れり、況や人来て一通の状をこはんに、名聞計りを思ふて其の事を聞かぬは是れ我執深きなり、人々ひじりならず、非分の事を云ふ人かなと、所詮なく思ふとも、我は名聞をすてゝ一分の人の利益とならば、真実の道に相応すべきなり、古人も其の義あるかと見ゆること多し、我も其の義を思ふて、少々檀那知音の思ひかけざる事を、人に申伝べて給はれと云事をば、文一通遣りて一分の利益を作すは易きことなり、
-
『正法眼蔵随聞記』巻三此の心を存ぜんと思はヾまづ無常を思ふべし、一期は夢の如し、光陰は早く移る、露の命は消ね易し、時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど聊かのことにつけても、人の為によく仏意に順はんと思ふべきなり、