酔古堂剣掃 / 集靈・短琴は曲無くして弦有り
箕踞於班竹林中,徙倚於青磯石上;所有道笈梵書,或校讎四五字,或參諷一兩章。茶不甚精,壺亦不燥,香不甚良,灰亦不死;短琴無曲而有弦,長謳無腔而有音。激氣發於林樾,好風逆之水涯,若非羲皇以上,定亦稽阮之間。
新字:箕踞於班竹林中,徙倚於青磯石上;所有道笈梵書,或校讎四五字,或参諷一両章。茶不甚精,壺亦不燥,香不甚良,灰亦不死;短琴無曲而有弦,長謳無腔而有音。激気発於林樾,好風逆之水涯,若非羲皇以上,定亦稽阮之間。
書き下し
班竹林の中に箕踞し、青磯石の上に徙倚す。有る所の道笈梵書、或いは校讎すること四五字、或いは參諷すること一兩章。茶は甚だしくは精ならず、壺も亦燥かず、香は甚だしくは良からず、灰も亦死せず。短琴は曲無くして弦有り、長謳は腔無くして音有り。激氣林樾に發し、好風之を水涯に逆ふ。若し羲皇以上に非ずんば、定めて亦稽阮の間ならん。
現代語訳
まだらな竹の林の中で足を投げ出して座り、青い岩の上をぶらぶらと行き来します。手元にある道教の書物や仏典を、あるときは四、五字ほど校訂し、あるときは一、二章ほど味わいながら唱えます。茶はそれほど上等ではなく、急須も乾ききることなく、香もそれほど良いものではなく、灰も冷えきってはいません。短い琴は曲はないけれど弦はあり、長く歌う声は節回しはないけれど音はあります。高ぶる気は林の木陰から起こり、よい風がそれを水辺で迎えます。これが伏羲より前の太古の世でないなら、きっと嵇康や阮籍(晋の竹林の七賢)の仲間のあいだにいるのでしょう。
解説
竹林での気ままな一日を、細やかに描いた一則です。班竹は斑竹のことで、まだら模様のある竹です。道笈梵書は道教の書を入れた箱と仏典、校讎は本文を照らし合わせて誤りを正すことです。茶も香も上等ではないが、途切れずに続いているという描写に、完璧を求めない寛いだ心がにじみます。曲のない琴と節のない歌は、陶淵明が弦のない琴を撫でて心を楽しませたという話を思わせます。原文の稽阮は、竹林の七賢の嵇康と阮籍を指すと考えられます。何もかも整えなくても、少し足りないくらいの道具で心ゆくまで楽しむことが、本当のくつろぎなのかもしれません。
この章句が説くこと
隠逸閑適風雅竹林自由
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