酔古堂剣掃 / 集靈・但だ木陰水氣有らば
鴻中疊石,常論高下,但有木陰水氣,便自超絕。
新字:鴻中畳石,常論高下,但有木陰水気,便自超絶。
書き下し
鴻中に石を疊むに、常に高下を論ず、但だ木陰水氣有らば、便ち自ら超絕す。
現代語訳
庭に石を積んで築山を作るとき、人はいつも石の高い低いを論じますが、ただ木陰と水気がありさえすれば、それだけでおのずと抜きんでたものになります。
解説
庭づくりで本当に大切なものは何かを言った一則です。原文の鴻中は意味が通りにくく、園中の誤りと考えると、庭の中に石を積むという意味になります。疊石は石を積み上げて築山を作ることで、明の文人は奇石を集めて庭を飾ることに熱中し、石の形や高さを細かく品評しました。しかし編者は、石の良し悪しより、木陰の涼しさと水のうるおいがあるかどうかで庭の品は決まると言います。細部の技巧を競うより、全体を包む空気を大切にせよという考えです。住まいや仕事の場づくりでも、高価な物をそろえるより、心地よい光や風の通り道を考えるほうが、居心地のよさにつながります。
この章句が説くこと
庭園風雅自然閑適趣味
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