酔古堂剣掃 / 集靈・必ず出世する者は方に能く入世す
必出世者,方能入世,不則世緣易墮;必入世者,方能出世,不則空趣難持。
新字:必出世者,方能入世,不則世縁易堕;必入世者,方能出世,不則空趣難持。
書き下し
必ず世を出づる者にして、方に能く世に入る、不らざれば則ち世緣墮ち易し。必ず世に入る者にして、方に能く世を出づ、不らざれば則ち空趣持し難し。
現代語訳
必ず世俗を超えた心を持つ者であってこそ、世の中に入って働くことができます。そうでなければ世の縁に引きずられて堕ちやすくなります。必ず世の中に入って働いた者であってこそ、世俗を超えることができます。そうでなければ空の境地を保つのは難しいのです。
解説
出世と入世、つまり世を離れることと世に交わることは、たがいに支え合うと説く対句です。世俗を超えた心を持たずに世の中へ入れば、利害や人間関係に巻き込まれて自分を見失います。逆に、世の中で苦労したことのない人が世を離れても、その悟りは頭の中だけのもので、すぐに崩れてしまいます。世緣は世間とのつながり、空趣は仏教でいう空の境地の趣です。不則は否則と同じで、そうでなければという意味です。組織の中で働きながらも一歩引いた視点を持ち、趣味や休息の時間を持ちながらも社会との関わりを失わない、という釣り合いの取り方を教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
処世仏教出世入世中庸
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