酔古堂剣掃 / 集靈・法眼を以て之を照らす
煩惱之場,何種不有,以法眼照之,奚啻蠍蹈空花。
新字:煩悩之場,何種不有,以法眼照之,奚啻蠍蹈空花。
書き下し
煩惱の場、何の種か有らざらん、法眼を以て之を照らせば、奚ぞ啻に蠍の空花を蹈むのみならんや。
現代語訳
煩悩の場には、どんな種類のものでもあります。しかし仏法の眼で照らしてみれば、それらは蠍が幻の花を踏むようなもので、実体のないものにすぎません。
解説
煩悩を仏法の眼で見れば実体がないと説く一句です。法眼は仏教で、物事の真実の姿を見通す智慧の眼を言います。空花は空華とも書き、病んだ目に見える空中の花のことで、実在しないものの代表的なたとえです。蠍が空花を踏むという言い方は他に例が乏しく、読みが定まりにくいところですが、毒をもつ蠍でさえ幻の花を踏んでは何も傷つけられない、というほどの意味に取れます。煩悩の種は数限りなくありますが、見方を変えればどれも幻だというのです。悩みに巻き込まれたとき、一歩引いて眺めると、思ったほど重くないと気づくことがあります。
この章句が説くこと
仏教煩悩心眼達観空
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