酔古堂剣掃 / 集峭・身は清涼の世界に住す
煩惱場空,身住清涼世界;營求念絕,心歸自在乾坤。
新字:煩悩場空,身住清涼世界;営求念絶,心帰自在乾坤。
書き下し
煩惱の場空しければ、身は清涼の世界に住し;營求の念絕ゆれば、心は自在の乾坤に歸す。
現代語訳
煩悩のうずまく場が空っぽになれば、身は清らかで涼しい世界に住むことになり、あれこれ求める思いが絶えれば、心はとらわれのない自由な天地に帰ります。
解説
煩悩と欲求を離れた先にある安らぎを、身と心の対で描いた一則です。煩惱は仏教で心身を悩ませる迷いの働き、清涼世界は煩悩の熱を離れた涼やかな境地で、仏の浄土を思わせる言葉です。營求は利益や名誉をあくせく求めること、乾坤は天地のことです。場所を変えなくても、心の中の煩悩の場が空になれば、今いるところがそのまま清涼の世界になり、求める心が絶えれば、心は天地のように広く自由になると言います。欲を全部捨てるのは難しくても、あれもこれもと求める心の熱を少し冷ますだけで、身の回りは涼やかに感じられるものです。忙しい日にこそ、求めすぎていないかを省みたい句です。
この章句が説くこと
煩悩仏教無欲自在修養
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