酔古堂剣掃 / 集靈・達摩面壁の圖を看る
獨坐丹房,瀟然無事,烹茶一壺,燒香一炷,看達摩面壁圖。垂簾少頃,不覺心淨神清,氣柔息定,蒙蒙然如混沌境界,意者揖達摩與之乘槎而見麻姑也。
新字:独坐丹房,瀟然無事,烹茶一壺,焼香一炷,看達摩面壁図。垂簾少頃,不覚心浄神清,気柔息定,蒙蒙然如混沌境界,意者揖達摩与之乗槎而見麻姑也。
書き下し
獨り丹房に坐し、瀟然として事無し、茶一壺を烹、香一炷を燒き、達摩面壁の圖を看る。簾を垂るること少頃、覺えず心淨く神清く、氣柔らかに息定まり、蒙蒙然として混沌の境界の如し、意ふに達摩に揖して之と槎に乘りて麻姑に見えんとするか。
現代語訳
一人で静かな部屋に座り、さっぱりと何の用事もありません。茶を一壺煮て、香を一本焚き、達磨が壁に向かって座禅する図を眺めます。簾を下ろしてしばらくすると、いつの間にか心は清らかに、精神は澄み、気は柔らかく、息は落ち着いて、ぼんやりと天地が分かれる前の混沌の境地にいるようです。思うに、達磨にお辞儀をして、一緒にいかだに乗って天の川を渡り、仙女の麻姑に会いに行こうとしているのでしょうか。
解説
茶と香と一幅の絵で、心が静まっていく過程を描いた一則です。丹房は仙人が丹薬を練る部屋のことで、ここでは静かな書斎をいいます。達摩面壁は、禅宗の祖、達磨大師が少林寺で九年間壁に向かって座禅したという話です。混沌は天地が分かれる前の、区別のない状態です。槎に乗るは、いかだに乗って天の川まで行ったという伝説、麻姑は道教の仙女です。禅の祖師と道教の仙女を一緒にしてしまう結びには、ほほえましいユーモアがあります。形式にこだわらず、茶を入れ香を焚き、一枚の絵を眺めるだけでも、心は深く静まります。自分なりの心を整える手順を持ちたいものです。
この章句が説くこと
禅閑適茶香瞑想
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