酔古堂剣掃 / 集靈・貧は是れ美稱
儉為賢德,不可著意求賢;貧是美稱,只是難居其美。
新字:倹為賢徳,不可著意求賢;貧是美称,只是難居其美。
書き下し
儉は賢德為り、意を著けて賢を求むべからず。貧は是れ美稱、只だ是れ其の美に居り難し。
現代語訳
倹約は賢い徳ですが、わざとらしく賢さを求めてはいけません。貧しさは美しい呼び名ですが、ただその美しさにふさわしくい続けるのが難しいのです。
解説
倹約と清貧の徳について、その落とし穴を指摘した一則です。倹約は立派な徳ですが、人から賢いと思われたくて倹約するのでは、本末転倒になります。意を著くは、わざわざ意識してそうすることです。また、清貧は美しい言葉として称えられますが、実際に貧しさの中で心を曲げず、品位を保ち続けるのは容易ではありません。貧しさそのものが美しいのではなく、貧しさの中でも志を失わない生き方が美しいのです。節約も質素も、見せるためではなく自分の生き方として自然に行うとき、はじめて徳になります。言葉の美しさに酔わず、実際の行いで示したいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
倹約清貧修身節制品位
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