酔古堂剣掃 / 集靈・集靈の小序
天下有一言之微,而千古如新,一字之義,而百世如見者,安可泯滅之?故風雷雨露,天之靈,山川名物,地之靈,語言文字,人之靈;畢三才之用,無非一靈以神其間,而又何可泯滅之?集靈第四。
新字:天下有一言之微,而千古如新,一字之義,而百世如見者,安可泯滅之?故風雷雨露,天之霊,山川名物,地之霊,語言文字,人之霊;畢三才之用,無非一霊以神其間,而又何可泯滅之?集霊第四。
書き下し
天下に一言の微にして、千古新たなるが如く、一字の義にして、百世見るが如き者有り、安んぞ之を泯滅すべけんや。故に風雷雨露は、天の靈なり、山川名物は、地の靈なり、語言文字は、人の靈なり。三才の用を畢すに、一靈以て其の間を神にするに非ざる無し、而して又何ぞ之を泯滅すべけんや。集靈第四。
現代語訳
世の中には、わずか一言でありながら千年たっても新しいかのようで、たった一字の意味でありながら百代の後にも目の前に見るかのようなものがあります。どうしてそれを消し去ってよいでしょうか。そもそも風や雷、雨や露は天の霊であり、山や川、名高い産物は地の霊であり、言葉や文字は人の霊です。天・地・人の三つの働きを尽くすのに、一つの霊がその間にあって神妙な働きをしていないものはありません。それをどうして消し去ってよいでしょうか。ここに集霊を第四とします。
解説
陸紹珩が第四の集、集霊の頭に置いた小序です。霊とは、ものの中に宿る神妙な働き、魂のことです。天では風雷雨露、地では山川名物、人では言葉と文字に、それぞれ霊が宿っていると言います。三才は天・地・人の三つで、易経以来、世界を成り立たせる三要素とされてきました。泯滅は跡形もなく消えてなくなることです。わずかな言葉が千年を超えて人の心を打つのは、そこに霊が宿っているからであり、だからこそ霊妙な言葉を集めて後世に残すのだという、この集の意図が示されています。心を動かされた言葉を書きとめておくことは、その霊を自分の中に生かすことでもあります。
この章句が説くこと
言葉霊妙古典読書風雅
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