酔古堂剣掃 / 集峭・群鴻海に戲れ野鶴天に游ぶ
群鴻戲海,野鶴游天。
新字:群鴻戯海,野鶴游天。
書き下し
群鴻海に戲れ、野鶴天に游ぶ。
現代語訳
群れなす大雁が海の上で戯れ、野の鶴が大空を自由に遊んでいます。
解説
集峭を締めくくる、のびやかな八字の句です。南朝梁の武帝が、魏の鍾繇の書を評して、雲鵠の天に游び、群鴻の海に戯るるが如し、と言った言葉と重なり、自由闊達な筆づかいをたたえる表現として知られています。群鴻は群れをなす大きな雁、野鶴は人に飼われない野の鶴で、束縛のない自由な精神の象徴です。激しい言葉の多かった集峭の最後に、このような大らかな句を置いたところに、編者の工夫が感じられます。世の中への鋭い批判を重ねた後に行き着くのは、何ものにもとらわれない自由な心の境地なのでしょう。心の中に、いつも広い空と海を持っていたいものです。
この章句が説くこと
自由書風雅自然隠逸
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