酔古堂剣掃 / 集峭・論家庭に到れば是非無し
議生草莽無輕重,論到家庭無是非。
新字:議生草莽無軽重,論到家庭無是非。
書き下し
議草莽に生ずれば輕重無く、論家庭に到れば是非無し。
現代語訳
議論が在野の民の間から起こるときは、重いも軽いもなく自由であり、議論が家庭の中に及ぶときは、正しいも誤りもありません。
解説
議論する場所によって、そのあり方が違うことを述べた短い対句です。草莽は草むらで、官に就いていない在野の民を指します。在野の議論は、地位の重さに縛られないので、誰の意見も軽重なく自由に出せます。一方、家庭の中の議論に正しいか誤りかを持ちこむと、かえって家族の和が壊れてしまいます。家庭では、理屈で白黒をつけるより、互いを思いやることが大切だというのでしょう。職場で正論を通すことは大切ですが、家に帰ってまで勝ち負けにこだわると、大切な人との関係がぎくしゃくします。場所によって議論の作法を変える知恵を持ちたいものです。
この章句が説くこと
家庭議論和処世家訓
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